LCP in Vietnam⑥ ベトナム戦争について
久ぶりのLCPのベトナムについてのお話です。
教育や自分の学びについては記事を書いてしまったので、今日からはベトナム戦争について書いていこうと思います。
このスタディーツアーではベトナム戦争の今の大きな傷跡を残している枯葉剤被害者の方や、
実際にゲリラ部隊に所属していた退役軍人の方にも、
インタビューさせていただいたりしたのでこれらも記事にして書きます。
今日はこれらの話をわかりやすくするために「ベトナム戦争ってどんな戦争なの?」ということについて書きたいと思います。
「ベトナム戦争ってアメリカとベトナムの戦いでしょ?」と思われがちですが、もっと複雑なものです。
まずベトナムは1887年~1940年までフランスの植民地でした。
1940年に第2次世界大戦がヨーロッパで激化し、フランスがナチスドイツに降伏します。
これにより植民地ベトナム内のフランス軍が急速に弱体化し、
しかし1945年に日本も第2次世界大戦で敗戦し、日本軍はベトナムを撤退します。
ここでベトナムは一時的に誰からも支配されない状態になります。
これを機にベトナムが独立するためにホーチミン率いるベトナム独立同盟が、ベトナム民主共和国(北ベトナム)を建国しました。
しかしもともと植民地支配していたフランスはこの独立を黙っていません。
フランスはベトナムを再び植民地化するために、フランスの言いなりの傀儡政権を作り、ベトナムの南にベトナム共和国(南ベトナム)という国を建国させます。
これによりベトナムが南北に分かれて戦争を始めます。
戦いが長期化するとフランス軍は疲弊し撤退し、これと同時に北緯17度線で停戦を申し込みます。
しかし、北ベトナムを社会主義のソ連が支援していたことが原因で、
フランスが撤退した後の南ベトナムを資本主義のアメリカが支援します。
これによりべトナムは社会主義と資本主義に分かれて冷戦になり、停戦は実現しませんでした。
1964年にアメリカ軍が本格的にベトナム戦争に介入することで争いが激化します。
このときに枯葉剤、爆弾の投下、ゲリラ戦などが使われました。
1973年に北ベトナム軍の奮戦によりアメリカ軍が敗れ、撤退します。
支援のなくなった南ベトナムは1975年に敗戦し、北ベトナムの勝利でベトナム戦争が終結します。
そして現在のベトナム社会主義共和国があります。
これがベトナム戦争の本当の歴史です。
今日はここまで。
追加:
LCPについての記事になります。