ジマーマの授業

主に教育系の話を書きます。 自分の考えやいい話などを書きます。

「なんとなく思想」をやめさせたい授業

f:id:komaaaain:20191225110750j:plain

今日は将来的にやりたい授業シリーズです。

 

「なんとなく嫌だ。」

「なんとなく私はそう思います。」

「なんとなく難しそうだから手を出しません。」

 

などの「なんとなく思考」はこれからの社会を生きていくためには無くしていきたい考えかたです。

 

自分の意見や考えをしっかり持っていないと、情報過多社会ではまっすぐに進むことができません。

 

そして社会は今ものすごい速さで変化しているからです。

 

みなさんも頑なにスマホを使わない人を

「損してるな。」

と思うことがあるでしょう。

 

これからは少しでも「難しそうだから…」という理由で新しいものを取り入れることをやめると、周りから置いて行かれます。

 

だからこそこれからの社会を「生きる力」として「なんとなく思考」を取り払う授業づくりをしたいと思います。

 

今回は「生物の多様性」という題材で考えたいと思います。

 

「生物の多様性」を主張する人は大勢います。

 

絶滅危惧種などを国や保護団体が守ろうとしていることはよくニュースに流れています。

 

彼らの主張として

「生物から多くのことを学び人類の役に立つ」

「地球上には多くの種類の動物がいる方がいい」

「人間が自然を破壊したからその分自然は大切にしなければならない」

などが挙げられます。

 

これらの理由から「なんとなく」賛成であるという人が大勢います。

 

しかし、私は理科の先生でありながら、そこに大きな疑問を感じます。

 

どうしてより多くの種類の動物がいるほうがいいの?

その理由ってなんですか?

 

人類と自然を別々に分けている意味はあるのでしょうか?

人類が作っているものをある種自然であって、その人類の繁栄ありきの世界に適応する動物は生き残り、適応できない動物は絶滅するというのは自然界では正しいことではないのか?

 

生物から役に立つ発明はこれまでの人類の歴史からも明らかである。

天然痘という病気から人類を救ったのは牛がいたからであり、

将来的には蜘蛛の糸を参考にした丈夫な繊維ができたりもするだろう。

しかし、すべての動物を保護する必要があるのか?

1匹の保護で月数百万円もかかる動物が存在する。

これらの動物を保護するより、同じお金を貧しい国の井戸を掘るなどして使った方がよいのではないか?

 

今私は「なんとなく生物の多様性に賛成である。」という意見に批判的かつ合理的な意見を提示しました。

 

この疑問について考えることで「なんとなく」では本質は見えてこないことを生徒たちは知ることができると思います。

 

こんな授業を所々で挟んでいきたい。

 

 

ついでに私は「生物の多様性」については賛否どちらでもないです。

 

もちろん生徒たちにも結論を出させる必要なないと思っています。