私が先生になろうと思ったわけ
ここでは私が先生になろうと思うまでの経緯を書きたいと思います。
まずは私が教育に関心を持つようになるきっかけを書きます。
それは私が小学校高学年のときです。
私はいじめられていました。
私が思うに、
私がいじめられた理由は、当時人との距離感をつかむことや人の感情を理解することが苦手だったからです。
(今の少し苦手です…)
普段は人の目を気にし過ぎて萎縮しているが、逆に開き直るとめちゃめちゃフレンドリーになったり、とにかく距離感が普通の人とは違う感覚がありました。
また1度集中すると周りの音が全く入ってこないことがよくあるので、人の話を聞き逃すことが度々ありました。
そんなこんなでクラスの人から距離を置かれ、当時流行っていた言葉で「KY(空気読めない)」とたくさんの同級生に言われました。
あとはめっちゃ無視されました・・・
「お前全然空気読めないよな。しゃべりかねんなよ。」
と話しかけから言われました。
「こまいってKYよね~」
と私にに聞こえるぎりぎりの声で言ってきたりしました。
何を言っても自分が悪いように捉えられるあの空気感が私は死ぬほど嫌でした。
そしてある日、私は意を決して担任の先生に相談しました。
先生は前向きに相談に乗ってくれて
「○○くんにいじめられている」
などを詳しく先生に話しました。
その数日後くらいの帰りの会に、
先生は私がいじめられていることをクラスみんながいる前で話しました。
そしていじめの中心核の人たちをクラスみんなが見ている中で指名し、
私に謝らせようとしました。
そのとき私は思いました。
「そんなみんなの前で謝らせる意味ないやん。このあと逆にもっといじめられるんとちゃうん?」
その予感は見事に的中しました。
次の日から私はクラスから完全に無視される存在になりました。
これまで話をしていたクラスメイトも、もう近寄ってこなくなりました…
そして先生に相談したらまた、悪い方向に進むと思い、それからはずっと誰にも相談せずにいました…
そして中学校に入るころにはいじめはいつの間にかなくなっていました。
私は初等教育についてあまり理解していないし、指導要領もサラリのとしか読んだことないのですが、
当時の先生の対応は間違っていたと私は思います。
「みんなの前で謝らせることに何の意味があるのか?」
「それをすることで本当にいじめがなくなると思ったのか?」
いじめられた経験から、いじめられている人の力になりたい。
当時いじめを悪化させた先生のようには絶対になりたくない。
この想いで私は先生になろうかなと考えていました。
これが私が教育というものに興味をもった最初の要因です。
次回は中学校のときの話をしたいと思います。
そして、このときは将来はゲームクリエイターになるか先生かで迷っていました。
(当時はゲームっ子だったので…)